ダブルスタンダード

コロナ自粛が長引いています。今は、飲食店の夜の時短営業が、半ば強制的に施行され、協力金が払われているとはいえ、飲食店の苦労はいかばかりかと思う。客の側としても、はやく閉店してしまうのだから、様々な制約にうんざりしてしまう。

そんな中、国会議員が、夜のレストランをはしごし、会食していた報道が続く。我慢している国民からすると、腹立たしい限りである。命じられて従っているのに、命じた側が従っていないのだから。

JWの世界にも、同様のダブルスタンダードがある。

私もそれに気がついた時は、呆れ失望し、腹が立った。

組織は1980年代、「終わりが近い」のだから、大学に進学すべきではない、と明確に教えていた。大学進学を考えていると分かると、「貴重な時間を宣教に費やすべきでは?」「自分を高めたいのか、それはサタンと同じ考え方で危険」「大学では世の哲学を勉強することになり信仰を破壊しかねない」などなど。そして、実際進学すると、信仰の弱い人とみなされ、いわゆる「特権」と言われるようなものを得られなくなる。また、一番辛いのは、集会での話の中で、大学に進学せず、開拓奉仕をしている若者を褒め称えるプログラムでの、針のむしろ感。「大学に行けたのに、終わりが近いのに4年間もの時間を大学なんかに費やすのは愚かだと思い、進学せず開拓奉仕をして、毎日充実しています」みたいな内容を、心を無にして聞かされる苦痛。

一方で、組織は、何故か高学歴の二世の若者を、ベテルに召集していた。今現在、ベテルの中枢にいる幹部たちは、二世でありながらかなりの高学歴でありビックリ!しかも、今から20年ほど前には、法学部を出た二世たちをベテルに集め、奉仕もさせず司法試験の勉強をさせ、資金を投入してまで弁護士資格を取らせていた。

つまり、一般信者に、大学に行くなと明らかに禁止しておいて、組織にとって利用しているのは高学歴信者。一般信者は、高卒でアルバイトのような不安定な生活をするよう促しておきながら、組織中枢では最大限学歴を活用しているなんて。

私は、周りになんと言われようと、自分の意思を貫いて大学進学をしたが、大抵の気の弱い若者は、教えられるまま進学せず、高卒でアルバイトの生活をしていた。彼らが気の毒に思う。

いい気なものだ。そんな、ダブルスタンダードで自分たちは寄付で暮らし、社会的にも通用する学歴を持っているのだから。

それで、信仰だの、終わりが近いだの、偉そうに教えられる気がしれない。

子どもに宗教を教えるって?

子どもが生まれた時、「自分が確信したことしか教えられない」と強く思いました。私自身が、70年代、80年代の、組織の勧める既定路線に従って育てられたのに、『なぜ』と聞かれた時に聖書からの根拠が説明できないことは、子どもに強いるのはやめようと決めました。

例えば、校歌を歌う、騎馬戦、誕生日、などは禁止することなく、また、群れの奉仕には出なくては、注解を1回はしなくては、なども私自身も思わないようにし、子どもにも教えませんでした。

子どもの安心感と幸福感を豊かに育み、子ども達がそうした想いに浸っているとき、「生きているって幸せだね〜」「命の与え主(神)に、どうやって感謝を表せるかな」という感じでした。

集会の時間も、子どもなりの意義ある時間にしたかったので、聖書通読の範囲から、簡単な問題を作って、良く聞いていれば答えが分かる、と聞く意識を高めたり、コミカルなイラストを描いておいて、内容に興味を持ってもらえるようにしていました。毎回毎回、その準備に2時間くらいかかっていましたが、親の意志で連れて行く子ども達の集会の時間が、子どもの成長にプラスになるように願っていました。

私自身は、確信がないので教えていませんでしたが、集会で演壇から、また注解などで「まもなくハルマゲドンが来る、世の人は滅びる」と、断定的に発せられる言葉に、案の定、子どもから質問されます。「エホバの証人じゃなければ滅びるの?」と。そんな時は「聖書には『まもなく』と書いてあるけど、2000年前に書かれた言葉なんだよね。あと、その時がいつかは神のみぞ知る、とも書いてある。滅びについても『神は一人も滅びるのを望んでいない』と書いてあるよ、だから、わからないな、とママは思ってるんだ」と。

 

振り返ってみると、私がされてきた組織の教育は、聖書に基づいて、というよりは、『人間のおきて』だったと思う。75年前だったので「小学生になることはない」と言われ、75年の解釈が外れると、「高校受験はない」と言われ、高校生になると「大学に行ってる数年のうちにこの世は終わる」と言われ。今、私は50歳。子どもが大学生。

散々、いい加減な教えに人生多大な負の影響を受けてきたのに、組織は謝罪どころか、「期待のあまり信者が性急に終わりの日を早めた」などと、信者が悪いみたいに言われ。

私は自分の子供たちにそんなことは絶対にしたくない。確信できないことは断定的に教えられない。

やめた理由

「好きな書籍は何ですか」という話になると、『霊感の本』『神の言葉』『探求』の3冊を挙げていました。今もそうですが、[本当の事]というのが好きです。小さな頃から、絵本も、空を飛んだり、魔法が使えたりする内容が出てくると、途端に興味を失う。なので、『大草原の小さな家』や『ガラスのうさぎ』『アンネの日記』と言った本を好んでいました。

 

聖書研究も、科学との整合性や預言の信頼性、というアプローチが好きで、いわゆる信仰を育む要素になっていきました。中でも、ダニエルの預言の、世界強国の20世紀に至るまでの台頭を、西暦前6世紀に予告されていた、というのは当時小学生だった私の心にも充分訴えるもので、「聖書って凄い」、さらに、「この預言を解読できているエホバの証人って凄い」と感じました。

卒業後の進路を決める時、周りの学生が就職活動に忙しくしている中で、当時は『残りの者の年齢、人数から言って、ハルマゲドンまであと数年』という雰囲気で、出版物にも「今世紀のうちに」という文言がありました。『この世代』という聖書中での言葉を、彼らの寿命のカウントダウンで使っていて、80代後半なのだから、長くてもあと数年、と受け止めさせる教えでした。就職が頭によぎった時、「組織の教えを信じよう、もし外れたら、信者はきっと失望しやめていくんだろう。その時組織は謝罪して解散するのかな」と思い巡らしたのを、はっきり覚えています。その時は、同時に「必ずその世代のうちにハルマゲドンが来るんだ、この体制は終わるんだ」と確信していました。

 

今年は2021年です。この事実が全てを明らかにしています。

はい、私がこの組織に見切りをつけたのは、簡単に言うとコレです。『本当のこと』が好きで、預言がその通りになっていることに感銘を受けて、正しい預言の解釈ができる唯一の組織、と信頼していた私にとっては、コレ以上の理由はいりません。「もう信用できないな」

 

『重なる世代』という新たな解釈を持ち出してきましたが、こんな苦し紛れな幼稚な教え、本当に真に受けている人っているのでしょうか?小学生でも分かるレベルの適当な言い逃れです。まだやめていなかった時、研究熱心な方々に率直に聞いてみました。

「組織が言うことは、そうなんだ、と覚えればいいのよ」

考え深い方だと思っていた彼女の言葉に、唖然としがっかりもし、呆れもしました。

そして、だんだん私の方がダメな人、という雰囲気になっていきました。

子育て

高校生の長男・長女がいます。

それぞれ、自分の将来を見据えて、勉強を頑張り、部活に汗を流し、友達と楽しみ、有意義に過ごしています。

夫もJW二世なので、私たち夫婦は、そんな子ども達の当たり前の青春を、本当に嬉しく、微笑ましく見ています。これが、中学高校時代の健全な時間の過ごし方だ、と。

そしてよく言います。「2021年だもんね〜。[今世紀のうちに]とか、[この世代が過ぎ去る前に]とか、どうしちゃったんだろうね〜」と。もう失笑です。

 

とても言える雰囲気でもなく、同じように頑張っている同年代がいたので、受け入れて、部活も入らず、土日の奉仕、夏休みの補助開拓、友達と遊びに行くこともせずひたすら集会・奉仕・大会...  

進路も、「終わりが来る」というJWが看板に掲げている教えで、高校も普通科ではなく商業科、もっと言えば通信制。大学は、行きたいと思っていることが分かると、長老に助言されてました。「まもなく終わるこの体制に、時間をつぎ込むのは賢明ではない」と。

今なら言ってやりたい、「あれから30年経ちました。2021年ですが。我が子が今年大学生です」と。

 

私自身は、父親が信者ではないというまだ恵まれた家庭でしたので、大学進学しましたが、私なんかよりももっと優秀な方々が、旧帝大レベルに進学出来たであろう学力を持ちながら、進学せず、還暦が近い今も、不安定な暮らしをしているのを伝え聞くと、やるせない思いを通り越して、組織への怒りが湧いてきます。

 

模試の結果に一喜一憂して一層勉強に精を出したり、週末の部活の大会から帰宅し都大会への出場決定を喜んでいたり、友達とスイパラで楽しんで来たり...   

我が子の青春が本当に羨ましい。

これこそ、若者の健全な時間の使い方ですね。

自己紹介

はじめまして

今年で50歳になり、これまでの人生・今・これから、を考える意味で、ブログを始めてみました。

 

物心ついた時から40代半ばまで、かなり真剣にJWとして生きてきました。過去を振り返ると、とても避けて通れない重要テーマになってしまいます。

 

現在は、子どもたちも大きくなり、資格を取ったり、旅行に行ったり(コロナ収まってくれ〜)、軸足が、子育てからそれ以外に向きつつあります。

 

そんな日々を、言葉にしていきたいと思います。

よろしくお願いします。