子どもに宗教を教えるって?

子どもが生まれた時、「自分が確信したことしか教えられない」と強く思いました。私自身が、70年代、80年代の、組織の勧める既定路線に従って育てられたのに、『なぜ』と聞かれた時に聖書からの根拠が説明できないことは、子どもに強いるのはやめようと決めました。

例えば、校歌を歌う、騎馬戦、誕生日、などは禁止することなく、また、群れの奉仕には出なくては、注解を1回はしなくては、なども私自身も思わないようにし、子どもにも教えませんでした。

子どもの安心感と幸福感を豊かに育み、子ども達がそうした想いに浸っているとき、「生きているって幸せだね〜」「命の与え主(神)に、どうやって感謝を表せるかな」という感じでした。

集会の時間も、子どもなりの意義ある時間にしたかったので、聖書通読の範囲から、簡単な問題を作って、良く聞いていれば答えが分かる、と聞く意識を高めたり、コミカルなイラストを描いておいて、内容に興味を持ってもらえるようにしていました。毎回毎回、その準備に2時間くらいかかっていましたが、親の意志で連れて行く子ども達の集会の時間が、子どもの成長にプラスになるように願っていました。

私自身は、確信がないので教えていませんでしたが、集会で演壇から、また注解などで「まもなくハルマゲドンが来る、世の人は滅びる」と、断定的に発せられる言葉に、案の定、子どもから質問されます。「エホバの証人じゃなければ滅びるの?」と。そんな時は「聖書には『まもなく』と書いてあるけど、2000年前に書かれた言葉なんだよね。あと、その時がいつかは神のみぞ知る、とも書いてある。滅びについても『神は一人も滅びるのを望んでいない』と書いてあるよ、だから、わからないな、とママは思ってるんだ」と。

 

振り返ってみると、私がされてきた組織の教育は、聖書に基づいて、というよりは、『人間のおきて』だったと思う。75年前だったので「小学生になることはない」と言われ、75年の解釈が外れると、「高校受験はない」と言われ、高校生になると「大学に行ってる数年のうちにこの世は終わる」と言われ。今、私は50歳。子どもが大学生。

散々、いい加減な教えに人生多大な負の影響を受けてきたのに、組織は謝罪どころか、「期待のあまり信者が性急に終わりの日を早めた」などと、信者が悪いみたいに言われ。

私は自分の子供たちにそんなことは絶対にしたくない。確信できないことは断定的に教えられない。